2017年05月10日

自分を癒すと、人生が変わる

スピリチュアルな探求の道は、

「癒す」ことから始まりました。


自分癒す…と最初に聞いた時は、

何のことやら…?  という感じでしたが、


それがどれほど重要なことであるか、

言葉で表現できないほどのものだと

私は感じています。


「あなたがヒーラーだから、

セラピストだから、そう思うのでしょう?


そう思われるのは、自然な思考かもしれませんが、

そうではありません。


当時、ヒーラー・セラピストになろうなとどは、

一度も考えたことがありませんでした。


自分を癒すと、自分の周波数が変わり、

心身がともに健やかになっていきます。


すると、周囲の環境や世界が変わり、

出会う人々が変わり、

住む場所や興味をひかれる事物が変容していきます。


その結果、仕事も変わっていくのです。


自分を癒すことに費やした

時間とエネルギーとお金の総量は、

相当なものだと、振り返ってみて、

自分でもびっくりするのですが、


本当に、手あたり次第、

ありとあらゆる種類のヒーリング、セラピー、

ワークショップ、セミナー、スクールなどに通い、

先覚者が書いたたくさんの本を読み続けました。


何かに急き立てられるように、

どうしても前に進みたい気持ちに動かされて…


そして、数年経ったところで、いきなりシフトが起こって、

「ヒーリングやセラピーをする」という思いが出てきたのです。


スピリチュアルな探求は、今も続いています。


ここまでの道のりを振り返ると、

試行錯誤や、進路変更や、停滞があり、


誤った方向へ逸れてしまったり、

闇にうっかり近付いてしまったり、

利用されていることに気付いたり、


皆さんも、そうだと思うのですが、

平坦で楽な道では決してありませんでした。


今、ここも、途上です。


探求を始めた頃に比べると、

だいぶ余裕を持って、来た道を眺めているものの、


やはり大変な年月だった、

地球の学びは並大抵ではこなせないと

あらためて実感するばかりです。


これを読んでくださっているあなたも、

地球上の転生での、幾多の困難を

乗り越えられて来られたことでしょう。


ねぎらいの気持ちとエールを贈り、

称え合いましょう。


癒しという切り口から始まった探求と

スピリチュアルな進化。


最近の出来事では、韓国の朴大統領の一件に対して、

一人の人間として、まだ癒されていなかった心のすき間が、

あのような問題につながり、罷免に至ったのではないかと…


そういう見方も出来るのではないかと、

私は感じています。


大切な家族を失った悲嘆、寂しさ、孤独感、

本当は欲しかったものを得られず、

満たされない思いが、

身近な他者に向けられ、依存してしまったのではないかと…。


不正は不正で、同情の余地はありません。


けれども、似たようなことは、

どんな時代、どんな地域においても、

そこここで起こっていたし、今もあるのです。


自分を癒すことのはじまりは、

心の内側に何があるのかを、よく見てみること。


まだ癒されていない領域に気付くこと。


癒しを必要としている領域を無視しないこと。


そこに光を当てて、癒してあげられたら、

魂の本来の光がいっそう輝きを増して、

人生は驚くほど、変わっていくでしょう。


posted by lotusblue at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 癒しと進化

2017年05月08日

スピリチュアルな理解と行動 自己幻惑

スピリチュアルな本を読むことがお好きな方は、
たくさんの本を読んでみて、
その中に共通する知恵が在ることに
気付いておられると思います。

数冊ほど、読んでみると、
それがまずまずのクオリティのものであるならば、
たとえ著者は異なっていても、
同じことや、似たようなことが、
繰り返し、現れてくる…

そう感じてしまうかもしれません。

たとえば、ジャッジをすること。

誰かをジャッジすると、
人間関係は、その時点で壊れてしまいます。

また、ジャッジは、大きくなって自分に戻ってきます。

信じられないくらいたくさんのジャッジを受けて、
痛い思いをしてしまうかもしれません。

痛い思いをしたくないから、
ジャッジをしないほうが良いわけではないのですが…。

ジャッジは、二元性と分離の典型ですので、
その状態に留まっていては、先に進めなくなるでしょう。

さて、「ジャッジって、しないほうがいいらしい…」
ということを、しっかりと理解しているはずなのに、
目の前で誰かをジャッジし始めて、
それを見ている人が、
驚いてしまうことがあります。

どうしてそうなるかといえば、
頭で理解していることと、実際の行動とが、
一致していないから…ということになります。

それは、ご自分のことをわかっていないため、
ご自分をあるがままにみていないためだと思います。

無意識状態で、長年のパターンが繰り返され、
ジャッジしていることに、
気付けないのかもしれません。

実は、あるがままに自分を見ることほど、
難しいことはありません。

自分のことを、見たいように見る「自己幻惑」は、
高いハードルとして、
進化の途上に立ちはだかっています。

自分のことを見たいように見ることは、
自然な成り行きとして、
他者やまわりの世界のことも、
自分が見たいように見て、解釈してしまうことに
つながっていきます。

自分はかなり進化しているとか、
自分は光に満ち溢れている…と思う時、
誰でも少し気分が良くなるものです。

幻想の自己が、本当の自分に代わって現れ、
そちらを信じていくと、実相が見えなくなるでしょう。

ジャッジは一つの例に過ぎません。

スピリチュアルなことなら精通している、
おおかたは理解していて、もう学ぶ必要はない、
…という気持ちには、
少し気を付けてみたほうが良いかもしれません。

意識されていない行動として、
どのような局面で、どのようなジャッジをしてしまうのか?

十分に理解したと思っていることが、
日常生活の中で、
どのくらい忘れられ、無視され
ないがしろにされているのか、
という視点が気になります。

なぜならば、この地上での
物理的な人生の日々こそが、
スピリチュアルな真実や、まばゆいほどの魂の光が、
明るく照らし出し、輝かせるべきステージだからです。

概念や知識に留めておくのではなく、
行動にうつしていくために、
その方の日常の問題やお悩みに即して
ご一緒にスピリチュアルな叡智を
思い出し、再発見していきませんか?

ありふれた日々を、
最高最善のスピリチュアルな進化の道とするための
叡智を生きるセミナー 

posted by lotusblue at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 癒しと進化