2017年05月08日

スピリチュアルな理解と行動 自己幻惑

スピリチュアルな本を読むことがお好きな方は、
たくさんの本を読んでみて、
その中に共通する知恵が在ることに
気付いておられると思います。

数冊ほど、読んでみると、
それがまずまずのクオリティのものであるならば、
たとえ著者は異なっていても、
同じことや、似たようなことが、
繰り返し、現れてくる…

そう感じてしまうかもしれません。

たとえば、ジャッジをすること。

誰かをジャッジすると、
人間関係は、その時点で壊れてしまいます。

また、ジャッジは、大きくなって自分に戻ってきます。

信じられないくらいたくさんのジャッジを受けて、
痛い思いをしてしまうかもしれません。

痛い思いをしたくないから、
ジャッジをしないほうが良いわけではないのですが…。

ジャッジは、二元性と分離の典型ですので、
その状態に留まっていては、先に進めなくなるでしょう。

さて、「ジャッジって、しないほうがいいらしい…」
ということを、しっかりと理解しているはずなのに、
目の前で誰かをジャッジし始めて、
それを見ている人が、
驚いてしまうことがあります。

どうしてそうなるかといえば、
頭で理解していることと、実際の行動とが、
一致していないから…ということになります。

それは、ご自分のことをわかっていないため、
ご自分をあるがままにみていないためだと思います。

無意識状態で、長年のパターンが繰り返され、
ジャッジしていることに、
気付けないのかもしれません。

実は、あるがままに自分を見ることほど、
難しいことはありません。

自分のことを、見たいように見る「自己幻惑」は、
高いハードルとして、
進化の途上に立ちはだかっています。

自分のことを見たいように見ることは、
自然な成り行きとして、
他者やまわりの世界のことも、
自分が見たいように見て、解釈してしまうことに
つながっていきます。

自分はかなり進化しているとか、
自分は光に満ち溢れている…と思う時、
誰でも少し気分が良くなるものです。

幻想の自己が、本当の自分に代わって現れ、
そちらを信じていくと、実相が見えなくなるでしょう。

ジャッジは一つの例に過ぎません。

スピリチュアルなことなら精通している、
おおかたは理解していて、もう学ぶ必要はない、
…という気持ちには、
少し気を付けてみたほうが良いかもしれません。

意識されていない行動として、
どのような局面で、どのようなジャッジをしてしまうのか?

十分に理解したと思っていることが、
日常生活の中で、
どのくらい忘れられ、無視され
ないがしろにされているのか、
という視点が気になります。

なぜならば、この地上での
物理的な人生の日々こそが、
スピリチュアルな真実や、まばゆいほどの魂の光が、
明るく照らし出し、輝かせるべきステージだからです。

概念や知識に留めておくのではなく、
行動にうつしていくために、
その方の日常の問題やお悩みに即して
ご一緒にスピリチュアルな叡智を
思い出し、再発見していきませんか?

ありふれた日々を、
最高最善のスピリチュアルな進化の道とするための
叡智を生きるセミナー 

posted by lotusblue at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 癒しと進化
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